家庭用移植でAC版バーチャロンと見間違えるグラフィックを発見
セガサターン版バーチャロンもほとんどやらなくなった頃、アーケード版バーチャロンやラストブロンクス(サターン版含む)ばかりやっていた日々。
ふと本屋で立ち読みしたマイコンベーシックマガジン。
そこには、Windows版バーチャロンの記事が掲載されていて目を疑った。
その写真は何度見てもアーケード版にしか見えない画像が載っているのだ。
ただアーケード版の写真を載せているだけだろうと思ったが、
体力ゲージの大きさなどの違いから、移植されたものだということが判断できた。
懐かしいWindows95の時代
当時はWindwos95が出て少し経った位の時でニュースで散々取り上げられ、これからはパソコンを覚えないとどうしようもない時代になるぞ
・・という様な雰囲気を醸し出している時だった。
父親はそれにのせられたのか、CRTモニター一体型のFMVを買ったのだが、
結局殆ど使わずじまいでホコリをかぶっていた。
もったいないので、自分が本屋で「初めてのインターネット」というようなマニュアル本を購入して、
ようやくインターネットにつないでホームページを見てすごいすごいなどと言っていたような時で、
周りの友達はインターネットに自宅から接続したという人はいない時期でもあった。
MMX Pentiumってなんぞや
雑誌に載っていたPC版バーチャロンは、MMX PentiumというCPUを積んだものでなければ動かないということがわかった。
うちにあったFMVは確かPentium100Mhz位のもので、全くスペックが足りていなかった。
これを機会にパソコンを覚えて教えるから、
もう少しまともなスペックのPCを買ってくれとねだりにねだって、
どう言いくるめたのかは覚えていないのだが新しいPCを買うことになった。
当然パソコンの使い方を覚えて教育をするという意志はあったのだが、
7割くらいの気持ちはPC版バーチャロンのためと言うことは言わずもがなである。
ソフトを買う金はないので、NECのPC9821 V200というものが、
PC版バーチャロンが付属してくるモデルということを下調べ済みだったので、
その型番を電気屋に買いに行った。
記憶では27万円位する、とんでもなく高価なものだったと記憶している。
PC版バーチャロンは激重なゲームだった
ワクワクしながらインストール(当時はインストールという言葉もよくわかっていなかった)し、実際にプレイをしてみると、動きがカクカクの低解像度画面が出てきて、
雑誌で見た画像とまるで違っており、非常に焦り始めた。
戦闘前のエネミーインフォメーション画面が出てから、
戦闘開始するまでもかなりの時間を待たされるという状況にも唖然とさせられた。
どうやら低解像度モードと高解像度モードの切替ができることに気づいたが、
結局の所、低解像度モードで、20fps?くらいのモードでなければ
遅すぎてまともに遊べる状態じゃないのだ。
高解像度モードにすると、
見た目はまさにアーケード版と同等で、背景がポリゴンで描かれており感動だったが、
超高速カメラのスロー映像のようになってしまい、正直ゲームにならなかった。
低解像度モードにて実際にプレイをしてみると、
セガサターン版のようなしゃがみショットのとんでもないホーミング性などは皆無で、
アーケード版とほとんど区別がつかない様な内容になっておりこちらも感激した。
大きく異なる点としてはリプレイがスローにならない事くらいだと思う。
当時のPCゲームは、バンドルソフトなのに本体が要求を満たしていない罠があった
やはり残念なのは、グラフィックを良い状態に設定するとゲームにならないことだ。本体にバンドルされてくる位だから、
買ったマシンでは当然完璧に動くものだと誤解していたが、
PCゲームは家庭用ゲーム機と違い
各ユーザーでスペックが異なるマシンを利用することから、
低スペック向けの設定と、高スペック向けの設定で対応していたのをその時理解した。
しかし、27万円も出して完全な状態で遊べないなんて、
完璧な状態で遊べるは一体いくら出せばいいのだと嘆いたのを思い出す。
少しでも改善しようと、メモリ32MBを3万円ほど出して買い足した(人生初のメモリ増設)。
戦闘開始までのロード時間がかなり早くはなったのだが、
高解像度設定にするとゲームにならないのは変わらなかった。
これはCPUの周波数が足りないのでどうしようもないということに後から気づいた。
低解像度モードでも、内容はほとんどアーケード版と変わらないため、
パソコンをいじって覚えつつ、バーチャロンを起動して遊ぶことが日課になりつつあった。
少し経った後、PowerVR版のバーチャロンが発売されることを雑誌で読んだ。
こちらは3Dボードと呼ばれるものを増設して
そのボード専用のゲームとして発売されるようだったが、
高価なPCを買ったばかりでさらなる投資はさすがに無理だったため
こちらには手を付けられなかった。
バーチャロンのコミュニティが現れ始めてきた
インターネットのホームページで、バーチャロンのことを記載している所を度々訪れてはBBSなどで情報のやり取りを行うようになっていった。
そんな中、「ゲーム野郎」というホームページに辿り着いた。
現在は残念ながら閉鎖されて存在しないようだが、
当時そのページにて、ランキングバトルという、毎週1回のネット対戦会をやっていた。
バーチャロンに通信対戦の機能があるのはヘルプで知っていたが、
ローカルのLAN(当時はLANが何なのかもよくわかっていなかったが)でなければできない
ということをSEGAのサポートに問い合わせて確認済みだったため、
本当にそんなことができるのか信じられなかった。
(当時のサポートは相当いい加減だった)
ページのメンバーと、BBSチャットやICQ(skypeメッセンジャーと同様のソフト) を利用して、
接続に必要なグローバルIPを調べる方法や、DirectXの更新方法など、
色々と教えていだいて、ようやく接続環境を整えることができた。
今と違って周りにPCについて知っている人もいないし、
検索すればネットに情報が出てくるという事は無かったため、
ネット上の人とのやり取りで知識を高められたことは非常に感謝している。
実際に対戦をしてみると、当時は基本アナログモデム、良くてINS回線だったため、
通信ラグがひどいものだったのだが、そのラグの中でも
家でアーケード版と同等の対戦ができるということが、非常に感動させられた。
オラトリオ・タングラムの登場で初代バーチャロンは過去のものへ
それから幾度と無く対戦会が続いていたのだが、1998年にバーチャロンの続編オラトリオ・タングラムの稼働が開始され、
ランキングバトル参加者も次第に減っていってしまい、
ついには対戦会が廃止されることとなってしまった。
私自身もオラトリオ・タングラムにシフトしていったわけだが、
オラトリオ・タングラム稼働後も、現在存続しているページ「月門の間」にて、
PC版バーチャロンの対戦や情報交換を続けさせていただいていた。
特に月門の間にて当時常連だった方には色々とお世話になり、今でも非常に感謝している。
PCの高スペック化により、PC版バーチャロンが完全動作する時代に
時がたち、PCのスペックもPentium2・3などが登場してくると、PC版バーチャロンが最高設定で(背景あり、60fpsの隠しモード)
普通に遊ぶことができるようになってきた。
オラトリオ・タングラム稼働後は、通信対戦はほとんどやらなくなっていたが、
パソコンを起動しては、ちょくちょくCPU戦で遊ぶことも多かった。
この60fpsモードなどは、インストールフォルダのiniファイルを自分で書き換えて
設定を変更する必要があるのだが、
バンドルPCのスペックではまともに 遊べなかったものが、
事後になって、完全な状態で遊べるようになる設定を
残しておいてくれた当時のSEGAは最高なメーカーだったなぁと思う。
(バーチャロンより後に発売されたSEGA PCのラストブロンクスなどは、
iniファイルではなくオプション設定で60fps設定ができるようになっていた)
バーチャロンがあったので、PCの勉強ができた
PCの勉強や、ネット上の方とのコミュニケーションなど色々な経験のきっかけとなったPC版バーチャロンは、
かけがえのないゲームの1つとなったのだった。
PS2版バーチャロンの登場へ続く・・
©SEGA CHARACTER DESIGN:KATOKI HAJIME
0 件のコメント :
コメントを投稿